安土城 摠見寺跡 [100名城]
最後は摠見寺跡です。
摠見寺は、信長によって安土城内に創建されました。残念がら本堂などは江戸末期に消失され、現在は三重塔と二王門のみが残されています。大手道横にある摠見寺は消失に伴って創建された仮本堂です。
本堂跡です。礎石だけが残されています。焼失前は本堂の他に、豊臣秀頼により建てられた書院、庫裏などがありました。
本堂跡横に立つ三重塔。いい枯れ具合です。
柱に享徳三年(1454年)との墨書きがあったことから、15世紀中頃創建されたものをこちらに移築したものと推定されています。
本堂跡から見た景色。見えるのは西の湖でしょうか。
二王門。
こちらも元亀二年(1571年)との墨書きがあったことから甲賀郡から移築されたものといわれています。
両脇に金剛力士像が。
最後に感想ですが、もう少し涼しい時にいきたかった、その一言につきますね。今年の夏の暑さは厳しかった。。。見過ごしたところもあったので、また行きたいと思ってます。
スタンプは以前書きましたが、二の丸の信長本廊付近にあります。
(おわり)
摠見寺は、信長によって安土城内に創建されました。残念がら本堂などは江戸末期に消失され、現在は三重塔と二王門のみが残されています。大手道横にある摠見寺は消失に伴って創建された仮本堂です。
本堂跡です。礎石だけが残されています。焼失前は本堂の他に、豊臣秀頼により建てられた書院、庫裏などがありました。
本堂跡横に立つ三重塔。いい枯れ具合です。
柱に享徳三年(1454年)との墨書きがあったことから、15世紀中頃創建されたものをこちらに移築したものと推定されています。
本堂跡から見た景色。見えるのは西の湖でしょうか。
二王門。
こちらも元亀二年(1571年)との墨書きがあったことから甲賀郡から移築されたものといわれています。
両脇に金剛力士像が。
最後に感想ですが、もう少し涼しい時にいきたかった、その一言につきますね。今年の夏の暑さは厳しかった。。。見過ごしたところもあったので、また行きたいと思ってます。
スタンプは以前書きましたが、二の丸の信長本廊付近にあります。
(おわり)
安土城 天守台跡 [100名城]
前回の二の丸跡からさらに上に登っていきます。
天守台跡の標識が見えてきました。
天守台跡に到着しました。礎石が一定間隔で並んでいます。当時はここにドカーンと地上6階、地下1階の天守台があったわけですが、この場所は、地下1階の部分にあたります。また、広さですが、当時は周りの石垣よりもさらに外側もあって、全体的には現在の2倍半の面積はあったと言われています。
天守台からの眺め。当時この高さから、さらに地上6階ですから、天守台からの眺めも大変よかったんでしょうね。
自分は当日が月曜で休館日であったためできなかったのですが、安土城に登る前に、考古博物館とか信長の館とか城郭資料館でイメージをわかしてから登ると良いかもしれません。
安土町城郭資料館にある模型です。こんな感じだったみたいですよ天守は。
休館だと知った時は予定がくるって非常にショックだったんですけど、まぁ、こういうとこは月曜休館ってよくあることなんですけどね、なぜか頭から抜けていました。
次回は最終回摠見寺跡です。
(つづく)
天守台跡の標識が見えてきました。
天守台跡に到着しました。礎石が一定間隔で並んでいます。当時はここにドカーンと地上6階、地下1階の天守台があったわけですが、この場所は、地下1階の部分にあたります。また、広さですが、当時は周りの石垣よりもさらに外側もあって、全体的には現在の2倍半の面積はあったと言われています。
天守台からの眺め。当時この高さから、さらに地上6階ですから、天守台からの眺めも大変よかったんでしょうね。
自分は当日が月曜で休館日であったためできなかったのですが、安土城に登る前に、考古博物館とか信長の館とか城郭資料館でイメージをわかしてから登ると良いかもしれません。
安土町城郭資料館にある模型です。こんな感じだったみたいですよ天守は。
休館だと知った時は予定がくるって非常にショックだったんですけど、まぁ、こういうとこは月曜休館ってよくあることなんですけどね、なぜか頭から抜けていました。
次回は最終回摠見寺跡です。
(つづく)
安土城 二の丸・織田信長公本廟 [100名城]
前回は黒金門跡を入り、安土城の中枢部に入りました。
さらに進み、二の丸跡を目指します。
二の丸は天守の西側に構築された郭で、織田信長公本廟があります。
急な階段が見えてきました。この上が二の丸跡でしょうか。
二の丸跡の石碑が見えました。
奥に石垣のような壁に囲まれた場所が見えます。あそこが織田信長公本廟のようです。
織田信長公本廟は、信長の太刀や烏帽子などの遺品を埋めて弔うために秀吉により作られたと伝えられています。ここの一角は立入禁止になっています。
また、宗教的空間として利用されているため、二の丸自体は全面的な調査が実施できず不明な点が多いそうです。
ちなみに100名城スタンプはここにあるので、押すのを忘れないように気をつけてください。
(つづく)
さらに進み、二の丸跡を目指します。
二の丸は天守の西側に構築された郭で、織田信長公本廟があります。
急な階段が見えてきました。この上が二の丸跡でしょうか。
二の丸跡の石碑が見えました。
奥に石垣のような壁に囲まれた場所が見えます。あそこが織田信長公本廟のようです。
織田信長公本廟は、信長の太刀や烏帽子などの遺品を埋めて弔うために秀吉により作られたと伝えられています。ここの一角は立入禁止になっています。
また、宗教的空間として利用されているため、二の丸自体は全面的な調査が実施できず不明な点が多いそうです。
ちなみに100名城スタンプはここにあるので、押すのを忘れないように気をつけてください。
(つづく)