三原旅行記 居酒屋六文銭 [三原旅行記]
三原にせっかく来たんだから地のものを食べたい、やはりタコは食べて帰らねばということで、ネットでいろいろ出発前に調べていました。三原市観光協会のHPにお薦めのお店の中で六文銭という気になる居酒屋を見つけ、よし、夕食はここに行くぞと決めていました。
いざ夕食の時に場所を調べてみると、ホテルのすぐそばで2分くらいの場所にありました。
雰囲気もよく、一人でしたが気兼ねなく入れました。料理も手頃な値段でとてもおいしかったです。
店員さんも気さくで、お店で出している地酒についていろいろ教えていただき、お薦めの地酒を頂きました。
・タコの刺し身に唐揚げ、串焼き、地酒などを頂きました。
また三原に行った時は立ち寄ってみたいお店です。
(つづく)
いざ夕食の時に場所を調べてみると、ホテルのすぐそばで2分くらいの場所にありました。
雰囲気もよく、一人でしたが気兼ねなく入れました。料理も手頃な値段でとてもおいしかったです。
店員さんも気さくで、お店で出している地酒についていろいろ教えていただき、お薦めの地酒を頂きました。
・タコの刺し身に唐揚げ、串焼き、地酒などを頂きました。
また三原に行った時は立ち寄ってみたいお店です。
(つづく)
三原旅行記 三原城舟入櫓跡 [三原旅行記]
今日は三原城の舟入櫓跡になりますが、舟入櫓なので文字通り船の出入りがあったわけですが、現在は一帯は埋め立てられてしまって普通の櫓跡になっています。
たぶん、写真を見てもピンとこないと思うので、駅にあった図を拝借すると、下の図の赤で囲まれた部分です。かつては海に面していたことがわかります。
入り口です。私は正直迷ったので地図などで確認しておいた方がいいでしょう。
案内板。新しくしたほうが。。。
公園のようになっています。午前中で暑かったので誰もいませんでした。
周辺は建物だらけです。昔は海が見渡せたのでしょうね。
イオンがどかーんと。道路は国道2号、山陽道です。
さて、こういうのは上から見てもあまり面白みがないので、下に降りて周辺を散策してみました。
櫓跡入り口の横の濠です。だいぶ水も汚れています。
ちょうど海から櫓に向かって左側面の位置です。5枚めの写真に写っている公園の付近から撮影しています。
海から見て正面の場所位置に出てきました。銀行とその駐車場になってます。
なかなか人の敷地に入っての写真撮影はしずらかったのであまりいい写真ではないですが。
しかし、この周辺が海だったなんて今の状態を見ると信じられませんね。
(つづく)
たぶん、写真を見てもピンとこないと思うので、駅にあった図を拝借すると、下の図の赤で囲まれた部分です。かつては海に面していたことがわかります。
入り口です。私は正直迷ったので地図などで確認しておいた方がいいでしょう。
案内板。新しくしたほうが。。。
公園のようになっています。午前中で暑かったので誰もいませんでした。
周辺は建物だらけです。昔は海が見渡せたのでしょうね。
イオンがどかーんと。道路は国道2号、山陽道です。
さて、こういうのは上から見てもあまり面白みがないので、下に降りて周辺を散策してみました。
櫓跡入り口の横の濠です。だいぶ水も汚れています。
ちょうど海から櫓に向かって左側面の位置です。5枚めの写真に写っている公園の付近から撮影しています。
海から見て正面の場所位置に出てきました。銀行とその駐車場になってます。
なかなか人の敷地に入っての写真撮影はしずらかったのであまりいい写真ではないですが。
しかし、この周辺が海だったなんて今の状態を見ると信じられませんね。
(つづく)
三原旅行記 三原城跡 [三原旅行記]
隆景広場から三原城の天守台跡周辺を歩いてみました。平成23年度から濠周辺の発掘調査を行っているとかで、現在はお濠の周辺が柵で囲まれていました。あまり近くに寄れなかったのが残念です。
三原城は前回も書いたように、小早川隆景が三原湾に浮かぶ大島、小島をつないで1567年に築城され、その後何回か修築など整備がなされ、1596年頃偉容を整えました。1575年当たりから信長の圧力にさらされはじめた時期ですから、より一層の守りを固めるために徐々に整備をしていったんでしょうね。
北西方面から天守台跡を望む。
北東方面から天守台跡を望む。
三原城跡碑
今度は天守台の上にあがってみました。駅構内から階段をあがっていくと、天守台跡に出ます。
ベンチなどが用意されていて、ちょっとした公園になっています。
隆景広場方面を望む
北西方面を望む
北東方面を望む
南東方面を望む
鉄道の高架が城跡の跡を通過するという珍しい城跡ですが、天守台の高さと高架の高さがほぼ同高さという点から見て鉄道の建設時はなるべく城跡に影響がないようにという配慮があったのではないかと思いました。とはいえ、もったいないですね。
(つづく)
三原城は前回も書いたように、小早川隆景が三原湾に浮かぶ大島、小島をつないで1567年に築城され、その後何回か修築など整備がなされ、1596年頃偉容を整えました。1575年当たりから信長の圧力にさらされはじめた時期ですから、より一層の守りを固めるために徐々に整備をしていったんでしょうね。
北西方面から天守台跡を望む。
北東方面から天守台跡を望む。
三原城跡碑
今度は天守台の上にあがってみました。駅構内から階段をあがっていくと、天守台跡に出ます。
ベンチなどが用意されていて、ちょっとした公園になっています。
隆景広場方面を望む
北西方面を望む
北東方面を望む
南東方面を望む
鉄道の高架が城跡の跡を通過するという珍しい城跡ですが、天守台の高さと高架の高さがほぼ同高さという点から見て鉄道の建設時はなるべく城跡に影響がないようにという配慮があったのではないかと思いました。とはいえ、もったいないですね。
(つづく)
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