岩国城 [防府〜岩国〜湯田温泉]
今日は萩からちょっと離れて、岩国城をご紹介します。
岩国城は元就次男吉川元春の三男、広家が1603年に着工、1613年に完成しました。残念ながら一国一城令により1615年には破却されてしまいます。
関ヶ原の戦いで敗戦した毛利家は周防・長門の2カ国に封入されてしまい、広家は1601年に岩国の地に赴任します。
広家は、関ヶ原の戦いで安国寺恵瓊や石田三成らが毛利輝元を西軍の総大将として担ぎ出そうとするのを最後まで阻止しようとしますが失敗します。
この時とった行動が毛利家内の不評を買い、この岩国の地も長州藩の支藩と認められず明治維新まで続くことになります。
城は山の上にありロープウェイでいきます。
写真の真ん中に小さく見えるのが、錦帯橋です。
旧天守台跡
場所は山陰本線の岩国駅もしくは新幹線新岩国駅からバスで15分~20分ほどです。島耕作の作者弘兼憲史の出身地らしくバスの中はその事をアピールする内容でいっぱいでした。
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岩国城は元就次男吉川元春の三男、広家が1603年に着工、1613年に完成しました。残念ながら一国一城令により1615年には破却されてしまいます。
関ヶ原の戦いで敗戦した毛利家は周防・長門の2カ国に封入されてしまい、広家は1601年に岩国の地に赴任します。
広家は、関ヶ原の戦いで安国寺恵瓊や石田三成らが毛利輝元を西軍の総大将として担ぎ出そうとするのを最後まで阻止しようとしますが失敗します。
この時とった行動が毛利家内の不評を買い、この岩国の地も長州藩の支藩と認められず明治維新まで続くことになります。
城は山の上にありロープウェイでいきます。
写真の真ん中に小さく見えるのが、錦帯橋です。
旧天守台跡
場所は山陰本線の岩国駅もしくは新幹線新岩国駅からバスで15分~20分ほどです。島耕作の作者弘兼憲史の出身地らしくバスの中はその事をアピールする内容でいっぱいでした。
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