吉田郡山城めぐり 釜屋の壇 [吉田郡山城めぐり]
前回の姫の丸の壇からさらにすすむと釜屋の壇にたどり着きます。
釜屋の壇は20m✕24mで約面積300平方m、本丸から15m下位にあると案内板には書いてあります。
このあと、この標識通りに羽子の丸に向かったのですが、途中で道なき道をすすむ感じでわからなくなり断念しました。
(つづく)
釜屋の壇は20m✕24mで約面積300平方m、本丸から15m下位にあると案内板には書いてあります。
このあと、この標識通りに羽子の丸に向かったのですが、途中で道なき道をすすむ感じでわからなくなり断念しました。
(つづく)
吉田郡山城めぐり 姫の丸壇跡 [吉田郡山城めぐり]
さて、前回の釣井の壇からさらに細い山道をすすんでいくと、今度は姫の丸壇跡があります。
本丸の北に伸びる峰にあり、西は前回の釣井の壇、東は釜屋の壇につながります。
山道はこんな感じです。滑ったら転げ落ちます。
姫の丸壇跡に着きました。
後方から。正面に山が見えますが、この上が本丸になる位置にあります。
この姫の丸壇に基礎をおいた本丸の石垣中に、元就築城のときに百万一心の礎石を埋めたとの伝説があり、1816年長州藩士武田泰信がこの石を拓本にとって持ち帰ったと伝えられていると案内板に書いてあります。
(つづく)
本丸の北に伸びる峰にあり、西は前回の釣井の壇、東は釜屋の壇につながります。
山道はこんな感じです。滑ったら転げ落ちます。
姫の丸壇跡に着きました。
後方から。正面に山が見えますが、この上が本丸になる位置にあります。
この姫の丸壇に基礎をおいた本丸の石垣中に、元就築城のときに百万一心の礎石を埋めたとの伝説があり、1816年長州藩士武田泰信がこの石を拓本にとって持ち帰ったと伝えられていると案内板に書いてあります。
(つづく)
吉田郡山城めぐり 釣井の壇跡 [吉田郡山城めぐり]
さて、本丸の跡は周りを散策しました。
最初は釣井の壇跡です。長さ75m、幅15m、面積約1000平方mの曲輪とあります。近くには本丸に最も近い水源である直径25mの井戸があります。
井戸の跡。今は土で埋もれてるけど、掘ればかつてのように水をたたえると思われると案内板には書いてあります。
(つづく)
最初は釣井の壇跡です。長さ75m、幅15m、面積約1000平方mの曲輪とあります。近くには本丸に最も近い水源である直径25mの井戸があります。
井戸の跡。今は土で埋もれてるけど、掘ればかつてのように水をたたえると思われると案内板には書いてあります。
(つづく)